松下幸之助の名言から学ぶ経営の心得

名言 要約 解説

今回の名言解説は松下幸之助

松下幸之助は、日本の実業家、発明家、著述家。パナソニックを一代で築き上げた経営者である。異名は「経営の神様」その他、PHP研究所を設立して倫理教育や出版活動に乗り出した。さらに晩年は松下政経塾を立ち上げ、政治家の育成にも意を注いだ。出典:Wikipedia

略歴

  • 1894年11月27日、和歌山県で三男として出生
  • 尋常小学校を4年で中退し9歳で宮田火鉢店に丁稚奉公に出される。その後、奉公先を五代自転車に移した。この経験は後にパナレーサー社設立のきっかけになった
  • 16歳で大阪電灯(現:関西電力)に入社し、7年間勤務する
  • 1918年に大阪市北区西野田大開町(現:大阪市福島区大開2丁目)で松下電気器具製作所(現・パナソニック)を創業
  • 第二次世界大戦中は、下命で軍需品の生産に協力する。1943年4月に松下造船株式会社を設立し、海運会社出身の井植歳男社長の下で、終戦までに56隻の250トンクラスの中型木造船を建造した
  • 戦後ただちにGHQによって制限会社に指定され、幸之助・歳男以下役員の多くが戦争協力者として公職追放処分を受ける
  • 1946年11月にはPHP研究所を設立し、倫理教育に乗り出すことで世評を高めた
  • 1950年以降、長者番付で10回全国1位を記録。また40年連続で全国100位以内に登場した。この時期の幸之助は「億万長者」であり、一生で約5,000億円の資産を築いたと推定される
  • 1960年に初の和歌山市名誉市民に選定される
  • 1970年にはナショナルショップの後継者育成目的で松下電器商学院(現:松下幸之助商学院)を設立する
  • 1989年4月27日午前10時6分に気管支肺炎のため、松下記念病院(守口市)において死去した。享年94

経営者としての心得、名言

  • お客様の苦情から商品の欠陥が判る。お客様の要望が新商品のヒントになる。お客様とは本当に有難いものです
  • どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。いま、現在に最善を尽くすことである。
  • すべての人を自分より偉いと思って仕事をすれば必ずうまくいくし、 とてつもなく大きな仕事ができるものだ。
  • 不況といい好況といい人間が作り出したものである。人間それをなくせないはずはない。
  • 立派な歴史伝統を持つ会社でも人を得なければ徐々に衰微する。歴史、伝統を生かすのも人である。
  • 指導者は才能なきことを憂うる必要はないが、 熱意なきことをおそれなくてはならないと思う。
  • 経営者にとって大事なことは、何と言っても人柄やな。結局これに尽きるといっても、かまわんほどや。まず、暖かい心というか、思いやりの心を持っておるかどうかということやね。
  • この世に存在する一切のものは、すべて不要なものは一つもない。
  • 無理に売るな。客の好むものも売るな。客のためになるものを売れ。
  • 競争も必要、対立することもあっていい。だが敵をも愛する豊かな心を持ちたい。
  • 百人までは命令で動くかもしれないが、千人になれば頼みます、一万人にもなれば、拝まなければ人は動かない。
  • 冷静ほど、大事なことはないのである。
  • 売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永久の客を作る。
  • 商売とは、感動を与えることである。




解説

苦難の時代や戦争を体験し、1代で従業員数万人を抱える大企業を作り上げる。
晩年は後継者育成や、教育に力を入れる。
経営を通して、人の世の正しき生き方、商売とはを教えてくれた日本が誇る偉大な経営者の1人ですね。
「物を売るのも人間、買うのも人間、競争相手も人間、部下も人間」全て人を相手にする。
全てが大事、不要なものなどこの世にはない。愛しているから時には厳しく、そして真剣に対応を行う。

経営者は冷静であれ、思いやる心を持て、心配や悔いる暇があったら現在の最善策を探せ

これですね。端的で本質的で本当に響きます。

それではまた。