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任天堂、トヨタ、SONYなど、世界に名を轟かす日本企業。今回はその中でも栄光と挫折を味わった「SONY」の歴史について、中田敦彦のYouTube大学の解説を元にご紹介します。日本人なら知っておきたい、伝説が盛りだくさんです。
中田敦彦のYouTube大学動画紹介
【ソニー再生①】大赤字のソニーを救った異端のリーダーシップ(Sony’s Revival)出典:中田敦彦のYouTube大学 – NAKATA UNIVERSITY
SONYと言えば皆さん何を思い浮かべますか?世代によって回答はまちまちでしょう。ゲーム機「プレイステーションシリーズ」と答える方もいれば「ウォークマン」と答える方もいる事でしょう。スマホからテレビからあらゆるデジタル製品を手掛けてきた巨大企業SONY。意外と我々日本人はSONYの事を知らず何となく製品を利用しています。
今回SONY変革の中心人物「平井一夫」さんが書籍を発行されたことを記念して中田敦彦のYouTube大学、SONYスペシャルの投稿となりました!
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中田敦彦のYouTube大学内容まとめ
SONYグループの危機を3度救った男「平井一夫」その手腕を学ぶことで、どんな状況でも諦めない勇気と希望を学ぶことができます。
今回はその3度の危機と変革手法についてまとめます。
平井一夫の変革①SCEアメリカ再生
1995年プレイステーション発売。当時アメリカでSONYの音楽事業に携わっていた平井は、アメリカでのプレイステーション発売時の盛り上がりを見て「アメリカで通用する日本のコンテンツはゲームなのかもしれない」と考えた。
そもそもプレイステーションは発売まで様々なトラブルがあった。
元々は任天堂と共同開発の予定であったが、途中で任天堂が海外の会社へ協力先を鞍替え。SONYは放り出された格好となる。
SONYの主流はエレクトロ事業、ゲーム事業は捨てようという風潮になっていたが、担当の「任天堂にここまでされてSONYが黙っていていいんですか?」に社長が反応。本気を出してプレイステーション発売へこぎつけた。
日本で好調な販売を見せるプレイステーションですが、アメリカでは社内トラブルが発生。ライバル会社のセガから引き抜いたアメリカ幹部が日本幹部と馬が合わず、関係性はみるみる悪化。このアメリカの内部崩壊を防げ!と30代でSONY音楽系の部署に籍を置きながらもSCEアメリカの責任者に就任した。
再生法⇒1on1ミーティング⇒クリエイターファースト思考
- トップ自ら全社員と徹底的に1人ずつミーティングを行った
- 人間関係の把握に努めた
- そして辞めさせなければいけない人物を選定
- 辞めてもらう説明をトップが直接交渉に行く
- 嫌がる仕事をやる、これがリーダーの仕事だ
- 次々にトラブルメーカーをクビにしていく
- そしてクリエイターファースト思考を訴えた
- いかにゲーム機の性能は良くても、良い内容のゲームソフトを作ってくれるクリエイターが必要
- よって専属契約で優秀ゲームソフト開発者を囲い、ソフト作りに専念してもらった
平井一夫の変革②SCE再生
アメリカでの成功も束の間、日本のSONY部門は窮地に立たされていた。原因はappleとサムスン。音楽プレーヤーで莫大な利益を上げていたが「iPod」にシェアを奪われ、テレビ部門ではサムスン初めて海外の格安テレビが次々と日本へ上陸。
既にSONYの主要産業になりつつあったゲーム部門。この時SONYはプレイステーション3の開発を急いでいた。SONYの社運が掛かっていた。
SONYは家庭に置くスーパーコンピューターレベルの物を作ると意気込んでいた。ゲーム以外のあらゆるものにも使用できる、映画も音楽も全てのコンテンツを内包できる。その努力は素晴らしかったが結果当時のゲーム機としては異常の販売価格6万円になってしまった。
世間の声もあり、最終5万円で販売。しかしこれは売れば売るだけ赤字。最終SONYはこのPS3を売る事で2300億の負債を抱えます。
当時の社長はこの件を受けて退任。ここで平井氏が2300億の負債を請け負い挽回に勤める。
再生法⇒全ての会議に参加⇒驚異のコストカットに成功
- 社長が全ての会議に参加
- なんとかPS3のコストカットが出来ることがないか徹底的に話し合う
- 結果2万円台まで発売価格を下げることに成功
- 本体重量も1.8kg減
- 結果ゲーム業界のシェアを回復
- この勢いを利用してプレイステーション4を発売、1億台発売、大成功となった
平井一夫の変革③ソニー再生
エレクトロニクス分野はなんと2008年から8年連続の赤字部門、かつての輝きを失っていた。
この中枢部門の立て直しに携わる事に。取り扱い商品は多岐に渡り、海外にまで製造が及んでいる、何をどこから手を付けるべきか、訳が分からない状況からのスタート。
再生法⇒世界中の社員と直接ミーティング⇒1メッセージ「KANDO」
- 話し合いの末、社員の自信喪失、社員の気持ちがバラバラ、ここに大きな問題があると感じた
- 昔のソニー商品にはワクワクがあった
- ソニーを「感動」というフレーズでもう一度まとめたい
- 世界中に英訳せず「KANDO」(感動)というメッセージを届けた
- これはかつてウォークマンを英訳せずwaikmanと浸透させた事を思い出してのこと
- そしてTVを再生させることを決意
- 高品質、ハイクオリティで単価が高くてもそれを望む所へ届けよう
- 同時にパソコン部門からの撤退を決意
- SONYパソコン事業から大量の退職者が出る、こちら全て平井社長自ら行う
- ソニーはソニーグループに改名
- ソニーはエレキが本流ではない、全ての部門を感動の名のもとに届ける
- そして遂に営業利益7348億円、20年ぶりに最強のソニーが帰ってきた
- ここでソニーを退社
- 私はピンチを再生することが役目、今のソニーに私は必要ない
- 私は子供の教育事業へ行く
- 人の心を動かすにはシンプルなメッセージを一つだけに絞る
- トラブル解決に必要なものは対話・対話・圧倒的なコミュニケーション
中田敦彦のYouTube大学から学ぶ平井一夫SONY変革の歴史まとめ
いかがだったでしょうか。
数々の災難を圧倒的な対話力によって解決に導いてきた平井氏。言い換えるなら、優秀な人材、素晴らしい頭脳はいつの時代も確かに存在していた、方向性のすれ違い、コミュニケーション不足が売り上げ不振を招いていたわけで、本当に立ち直れない赤字要因ではなかった。
そこに気付き、泥臭い仕事を全て引き受け、シンプルなメッセージで何千人の社員を動かし、やがて世界数億人に感動を与える。
ドラマや映画のようなお話でしたが全て実際に起きた実話。
事実は小説よりも奇なりとはまさにこの事でしょう。
規模は違えど、きっと皆さんの普段の生活の中にも役に立つメッセージがあったはずです。
今後も中田敦彦のYouTube大学の素晴らしいコンテンツは追いかけ続けようと思います。
それではまた次回の記事でお会いしましょう!